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Fragments

Fragments

作品の呼吸を先に触るための抜粋

20 works / 35 pieces

広告のなかの反省

SF記憶皮肉短編

わたしがその機能を入れたのは三年前だった。正式名称は長くて覚えていない。みんな単に「広告化」と呼んでいた。 上司に怒鳴られた記憶を掘ろうとすると、頭のなかに爽やかな炭酸飲料のCMが流れる。恋人に振られた場面を思い出しかけると、白い砂浜で犬が駆ける保険会社の映像に切り替わる。気まずい飲み会、失敗したプレゼン、病室の匂い。どれも最初の輪郭だけ見えたあと、すぐ広告の明るさに塗り潰される。

2026.03.21

第一章 下書き

恋愛喪失都市

駅前の広場に面したベンチへ腰を下ろすと、石の座面に日中のぬくもりがうっすら残っていた。高架をくぐる風はぬるく、信号待ちの車列からは、雨の乾ききらないアスファルトの匂いがする。三十分前まで降っていた夕立は、舗道の継ぎ目にだけ細い水を残して、街の表面を一度洗ったみたいに見せていた。

2026.03.21

第三章 橋の上

恋愛喪失都市

遊歩道の先にある歩道橋は、川をまたいで道路の上へゆるく弧を描いていた。夜中でも照明が消えないので、遠くから見ると、街のなかに細い骨が一本、白く浮いているみたいに見える。 真帆は階段を上った。踊り場にたまった雨水が、足音のたびにわずかに揺れる。見下ろすと、道路を走る車の屋根が、濡れた魚の背中みたいに光っていた。

2026.03.21

数字の表

SF人間関係皮肉短編

人の顔の横に数字が浮かぶようになってから、わたしはやっと安心して人と話せるようになった。 コンタクトレンズの名前は〈フェイスメーター〉。相手が自分をどれくらい好ましく思っているか、〇から一〇〇までで出る。発売から三か月で、駅の広告も、電車の中吊りも、だいたいその話になった。

2026.03.21

運の付け替え

SFアプリ皮肉短編

名前は〈LUCK NOW〉。朝のニュースアプリにも、動画の合間にも、しつこく広告が出ていた。 「今日の運、寝かせていませんか?

2026.03.21

やわらかい別れ

SF会話皮肉短編

親指の先ほどの白い機械を喉元に貼るだけで、失言が自動で穏当な表現に置き換わる。発売当初は冗談みたいな製品だと思っていたが、いまでは会議室でも居酒屋でも、みんな小さな白粒を喉に貼っている。

2026.03.21

夢申請窓口

SF行政不条理短編

枕元の端末に指を置くと、昨夜の睡眠記録が自動で開く。映像化された夢の断片を確認して、内容に誤りがなければ送信する。三十秒もかからない。未提出が三回続くと訪問指導、虚偽申告は罰金。だからみんな、寝ぼけたままでも最初にそれを済ませる。

2026.03.21

第一章 九月十二日は二回あっても困る

青春恋愛学園長編

ゼロと言うと角が立つので参考記録と言っているだけで、内容はほぼゼロと同じである。女子と話せないわけではない。むしろ話す方だと思う。文化祭実行委員もやっているし、クラスのグループLINEで必要事項を流せばちゃんと返信も来る。ただ、そういうのは全部、恋愛の成績表に載らない。

2026.03.15

第八章 むっつりの定義について

青春恋愛学園長編

その日、ひよりは朝から機嫌がよかった。機嫌がよいというより、ふっきれた感じに近い。教室の窓際で俺を見るなり、いつもの調子で言った。 「景太、今日ちょっとえっちな話していい?

2026.03.15

第一章 炎の錨

サスペンス群像劇地方都市ノスタルジー予言

フロントガラス越しに見える商店街は、午前十時にしてすでに眠っていた。シャッターの降りた店が四割。残りの六割のうち半分は、開けてはいるが客の気配がない。金物屋の軒先に並んだバケツが朝日を反射して鈍く光り、その隣の空き店舗には「テナント募集」の紙が日焼けして文字が読めなくなっていた。

2026.03.15

第八章 沙也加の帰還

サスペンス群像劇地方都市ノスタルジー予言

改札を出ると、空気の重さが違った。東京の夏も十分に暑いが、質が違う。碇ヶ浦の空気には厚みがある。海と山と川に挟まれた盆地のような地形が湿度を溜め込み、じっとりと肌にまとわりつく。懐かしいというより、忘れていた感覚が身体の奥から引きずり出される。

2026.03.15

第一章 受信域

SF人間ドラマ家族長編

マーラ・リンデンは、ニューメキシコ州ソコロ近郊にある連邦深宇宙通信局サウスウェスト受信管制センターの三階、第二長遅延解析室へ入るとき、いつも最初に空調の音を聞いた。扉が閉まると、外の朝が一段薄くなる。白い壁、低い天井、窓際に並ぶ解析卓。金属のラックに収まった記録装置の青い表示灯だけが、夜勤の残りのような光を点けている。

2026.03.15

第八章 売りに出る家

SF人間ドラマ家族長編

家はもう空だったが、空になった家ほど処分に手間がかかる。クローゼットの奥から季節外れの毛布が出てきて、ガレージの棚からは用途の分からないケーブルが何束も見つかる。人は住んでいなくても、物だけは少しずつ生活を続けている。

2026.03.15

第一章 失われた身体

灰都の雨は、上から降らない。広告塔の排熱で煮えた霧が、未明の高速回廊を斜めに流れ落ちる。 海面上昇と東京沈下災のあと、日本政府は旧有明、豊洲、東雲、晴海の埋立地を幾重もの防潮壁で囲い、首都機能の残骸ごと再編した巨大都市を造った。東京湾東特別行政区、通称・灰都。政治も物流も治安も、この国の壊れ残った中枢のかなりの部分が、いまもここへ押し込められている。

2026.03.14

第四章 赤い演算塔

それは旧晴海と有明のあいだに増設された官庁人工島の端に立っている。災害時には都市運営を最後まで維持するため、群衆から最も遠く、電力と冷却水から最も近い場所へ建てられた塔だ。高く赤い塔は、いつも遠景の一部としてしか見えない。近づくと初めて、あれが建築物ではなく意志の形をしていると分かる。

2026.03.14

第一話 神保町古書楼の密室

わたしが九条玻璃と組んで、初めてまともな事件らしい事件に出会ったのは、その雨の夜だった。 当時のわたしは、白楊社の文芸編集部で古い探偵小説の復刊を担当していた。古書店を回り、著者の遺族と頭を下げ合い、たまに本物と偽物の区別がつかない資料を抱えて途方に暮れる。九条玻璃と知り合ったのも、ある署名本の真贋を見てほしいと頼んだのがきっかけだった。

2026.03.14

第三話 風哭高原の黒い犬 第二章 霧の館

釧路空港から車で二時間半。国道を外れると、景色は急に薄くなる。牧柵、低い丘、凍りかけた湿原、白く霞む防風林。背の高い風車が遠くで回っていた。便利さを諦めた土地の広さは、東京生まれの人間を簡単に黙らせる。

2026.03.14

第一章 日常という形

人間ドラマ恋愛家族長編

ベッドから足を下ろすと、フローリングがひんやりと足裏に触れる。三月の半ば、西荻窪の1LDKはまだ朝に暖房がいる。リモコンを探すのが面倒で、渚はそのままキッチンに向かった。 コーヒーは決まってハンドドリップにしている。豆はカルディで買う中深煎りのブラジル。電動ミルで挽き、ペーパーフィルターに粉を移し、細口のケトルで湯を注ぐ。最初の蒸らしで粉がふくらむのを見る。

2026.03.14

第七章 帰省

人間ドラマ恋愛家族長編

八月十三日。中央線から乗り換えた各停は空いていて、渚は窓際の席でずっとスマートフォンを握っていたが、結局何も開かなかった。宮下からの最後のLINEは三日前の「おやすみ」で、それ以降、どちらからも何も送っていない。深夜に電話したことについて、翌朝謝った。宮下は「全然」とだけ返した。その二文字の後に何かが続くのを待ったが、何も来なかった。

2026.03.14

第一章 氷冠都市シェオル

SF海洋惑星宮廷長編叙事詩

人類は氷の上に都市を築いた。  都市は根を持たない。  海流と氷圧のわずかな呼吸に合わせて、一年に数十キロだけ移動する。氷床そのものが、街路であり、王宮であり、墓標であり、港だった。

2026.03.14

第九章 失われた公妃

SF海洋惑星宮廷長編叙事詩

元は艦隊機関士の訓練環区だった場所を、航宙院が極秘転用している。公式記録上は閉鎖済み。だが夜ごと補給車が出入りし、帰ってこない若者が増えていた。 施設へ潜入する前夜、リュシアは古い暗号文をイオへ見せた。

2026.03.14

第一章 DCミラー

SF心理恋愛

織部千紗は白衣のボタンを留めながら、薄暗い廊下を歩いていた。蛍光灯が一本切れかけていて、三歩ごとに明滅する。その不規則なリズムが、まるで誰かの瞼の瞬きのように見えた。 二十六歳。精神療法士。聖稜大学附属病院の臨床心理部に所属している。

2026.03.14

第十章 鏡像

SF心理恋愛

前回もそうだったが、今回はより顕著だ。患者の夢の中で、君自身の深層意識が活性化している。通常の共鳴反応ではない」 「どういうことですか」 「君の抑圧された欲求が、患者の夢を触媒にして表出している。他人の夢に入ることで、自分の無意識のドアが開きかけている

2026.03.14

第一章 港の匂い

港町記憶失踪帰郷

病院で会った祖母は思ったより元気だった。大事には至らず、数日で退院できる見込みだと医師は言った。ほっとしたのも束の間、祖母は面会の終わり際に、痩せた指で由良の手首をつかんでこう言った。

2026.03.10

第九章 見ていた人

港町記憶失踪帰郷

手がかりはまだ残っていた。 蒼汰が「頼んである」と言った相手。祖母かもしれないし、別の誰かかもしれない。由良たちは町の記憶をたどるしかなかった。 最初に祖母へテープを聞かせると、祖母は目を閉じて全部を聞き終え、長く息をついた。

2026.03.10

第一章 終電のあとの渋谷

恋愛東京

終電が行ってしまったあとの渋谷は、昼間とは別の顔をしている。凛はいつも、その顔のほうが好きだった。

2026.03.10

第十三章 いちょう並木の体温

恋愛東京

紅葉にはまだ早かったが、街灯に照らされた葉が、夜の中でぼんやり金色に光っていた。風が吹くと、まだ青さの残る葉が一枚、二枚と落ちてくる。 三嶋は黒いコートを羽織っていた。十一月の夜は、もう上着なしでは少し寒い。凛は薄手のカーディガンだけで来てしまったことを後悔した。

2026.03.10

第一章 起動

SFロボット怪獣心理

東京湾の沖合に、それは浮上した。全長百二十メートル。六本の脚。頭部のない胴体に、無数の眼球がぬめりを帯びて並んでいる。テレビの画面越しでさえ、見た人間の本能が一斉に警鐘を鳴らすような、圧倒的な「異物」だった。

2026.03.10

第十三章 均衡

SFロボット怪獣心理

束の間の休息を使って、僕は学校に通った。夏休みだったが、補習があった。教室はエアコンが効いていて、蝉の声が窓の外から聞こえる。平和な音だった。 彩音と一緒に補習を受けた。数学の問題を解きながら、たまに彼女の横顔を見た。シャープペンシルを動かす指先。考え込むときに唇を少し尖らせる癖。首筋に浮かぶ汗の粒。

2026.03.10

第一章 雪の底の光

温泉街SF異訪者

昼のあいだ、国道沿いでは除雪車が押しのけた雪が壁のように積み上がり、観光客はその白い回廊の隙間を縫うように歩く。温泉街では、旅館の軒先から細く湯気が立ちのぼり、スキー帰りの客たちが濡れた手袋を片手に土産物屋をのぞいている。越後湯澤駅の構内だけはいつも少し明るすぎて、外の青白い世界とは別の場所みたいだった。

2026.03.08

第六章 雪が静かになる時

温泉街SF異訪者

学校へ行き、民宿の手伝いをし、いつものように食事をして眠る。やっていることは変わらないのに、町の見え方だけが変わってしまった。駅前の湯けむりも、夜のゲレンデの照明も、除雪車が押しのける雪の塊も、どれも何かを隠しているように思えた。

2026.03.08

第一章 名前のない町

都市記憶恋愛

その町には名前がなかった。地図にも載っていないし、検索欄に打ち込んでも出てこない。けれど夜の二時を過ぎるころ、僕の部屋の窓の外にはたしかにその町が現れた。 昼間と同じ道路のはずなのに、夜になると輪郭だけが少し変わる。コンビニの白い看板は琥珀色にくすみ、信号機の青は深い水底みたいに沈み、見慣れたはずの角に、見覚えのない路地が一本増えている。

2026.03.01

第五章 触れたあとの沈黙

都市記憶恋愛

部屋には見慣れたカーテンがかかり、机の上には途中まで直した原稿があり、シンクには昨夜洗っていないコップが置かれていた。夜の町はどこにもなかった。 それでも夢だとは思えなかった。

2026.03.01

第四章 同じ傘の帰り道

幻想記憶

別に約束をしたわけじゃない。終礼が終わると、どちらからともなく昇降口へ向かい、靴を履き替え、同じ傘の下に入る。玲の傘は紺色で、骨の数が多く、昔の映画に出てくる小道具みたいに丈夫だった。

2026.02.15